邂逅(カイコウ)

静寂と喧騒の狭間で命を紬ぐ。ただ真っ直ぐに。

尊厳

命には限りがあって、どの道を歩いていっても終着点は行き止まりだ。誰もがそれを知っているし、最後の道程で尊厳を失いたくないと思っている、と思う。

 

80を過ぎたその女性は毅然とした方で、自分のことはもちろん、家族のことや家庭こともきちんとしていたのだろうと思う。ある日、救急車で運び込まれたその女性は、台所で倒れているところを夫に発見された。途切れそうな意識の中で、女性は夫に救急車は呼ばないで欲しいと訴えた。尊厳死を強く望み、その活動も行ってきていた。妻の活動に引っ張られるように、夫も尊厳死というものを理解し共に活動してきた。

 

苦しむ妻を見ていられなかった夫は悩んだ末に救急車を呼んだ。病院に搬送され検査を受け、急性大動脈解離と診断された。急性大動脈解離にもいろいろなタイプがあるが、女性は最も予後不良で治療を急がなければならない状態だった。

 

夫は、初めから妻は尊厳死を強く望んでいること、そういった活動に従事もしていることを私に訴えた。私は、すぐに手術をすれば何の後遺症も残さず助かる可能性があること、一方で、本人が最も望まない形で命だけが助かるという最悪のシナリオもあること、何もしなければこのまま永遠の別れになるだろうことを、手術を急がなければならない状況だったが、いつもより時間をかけて話をした。

 

人の尊厳を最期まで尊重するのは当たり前のことだと思う。問題は、今それを選ぶべき臨死期にあたるのかそうではないのかだ。

 

夫以外の家族は元に戻れる可能性がある方を選びたいと強く望んだ。夫は最悪のケース(ここでは死ではない)を恐れた。わずか1分で状況が悪化する可能性もあるなかで、家族は2時間話し合い、私たちは待った。この話し合いにはかろうじて本人も加わることが出来ていた。

 

そして、本人と家族の意見が一致し、私たちは緊急手術の準備を始めた(もちろん90%は既に準備済であった)。手術を開始してみれば、術前に想定していた以上に状況は悪化していた。結果、Bentall+Arch Replacementという大手術となった。にもかかわらず、術後の経過はすこぶる良かった。家族と会話し食事を一緒に取ることが出来ていた。しかし、そんな矢先に持病からの合併症を併発し全身状態が悪化した。私たちはあらゆる手段を用いて全力で救命し、結果、命は助かったが認知機能の低下と全身の廃用が残った。本人が最も望まないシナリオに一気に落ちていった。

 

それでも、治療が功を奏し、的はずれな受け答えをするけれども、家族と会話も出来たし時折笑顔も見られた。そんな日々が幾ばくか続き、廃用はさらに進んで体重が半分くらいになった。

 

夫はずっと妻に寄り添った。真夏の暑い日にはふらふらになりながら、どちらが病人かわからないほどになっても病院に通い詰めた。夫の気持ちを知ってか知らずか、妻は夫に早く帰れと見舞いに来たそばから言っていた。妻の病状のその日の良し悪しで夫の感情も生活も揺れ動いていた。

 

あの日、救急車を呼んでなかったら今頃はもう

あの日、救急車を呼ばなかったら今頃こんなことには

 

何百回、何千回と繰り返し自問し続ける夫の感情が、救急車を呼んで手術を受けさせた後悔と再び夫婦団欒の時間を持てたことへの喜びと、相反した感情が夫からは漏れ出ていた。

 

ある朝、いつものように回診に行くと病室には名札がかかっているのにベッドはきれいに整頓されていた(病状安定後、他科での再入院となっており私は担当医ではなかった)。救急車を呼んだあの日から284日が過ぎ、夫の葛藤の日々は終わりを告げた。いや、終わったのは夫の病院通いと私の個人的な回診だけかもしれない。

 

数日後、長い入院生活だったにもかかわらずわずかな荷物の引上げと、事務手続きのために夫とご家族が来院された。短い時間だったがお話しすることが出来た。葬儀は行わず、遺骨は海に散骨するとのことだった。生前の故人の強い意志だった。

 

これまで多くの人たちを手術で救ってきた。これまで何人かの人たちは手術をせずに看取ってきた。救急車は呼ばないで欲しいと言ったとき、苦しさのなか家族と話し合い手術を選択したとき、ベッド上での生活が長く続いているとき、そして、最期に遠のく意識の中で、彼女は何を思ったのだろう。

 

夫は、彼女のベッドサイドに置かれていたぬいぐるみを持っていた。夫は、私が心配していたほどには憔悴しきった印象ではなかった。夫とご家族は、何度も何度も頭を下げて感謝の気持ちを伝えてくれた。

 

夫や家族にとってかけがえのない時間は、ほんのわずかしか取り戻せなかった。ほんのわずかであったこと、台所に再び立たせてあげられなかったこと、夫や家族に葛藤の日々を過ごさせてしまったことを謝罪した。

 

心臓外科医に必要な能力の一つとして鈍感力というのがある。患者や家族、一緒に働くスタッフなど周囲の人たちに対して少し鈍感なくらいでないと心臓外科医を続けていくことは難しいと言われている。そうでないと、心はどんどん削られて、あっという間になくなってしまうから。

 

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※この記事内容はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり実在のものとは関係なく、写真と記事内容との関係もありません。

 

西へ向かう

窓の外の雨足がだんだんと強くなり、今年最大の台風が近づいて来ていることは、医局の中にいてもはっきりと感じられた。そんな夜に、当直用PHSがけたたましく鳴り、胸痛患者が救急搬送されるとのことだった。

 

救急搬送されて来た患者は四十代男性。過去に脳梗塞と心臓手術を受けた既往がある。衣服がずぶ濡れだったが、救急現場ではさほど珍しいことではない。胸痛患者の場合、緊急性が高いことがあるので、心電図や心エコー、採血や点滴ライン確保など、検査や処置を問診しつつ同時進行でどんどん行なっていく。一通りの検査を終えたが、明らかな異常は認められず、本人の症状も比較的落ち着いていた。

 

聞けば、品川からここ(横浜)まで歩いて来たとのこと。理由を聞くと「西の方へ向かおうと思って...」と。身寄りはなく、持ち物は衣類と幾ばくかの現金とそして身分を唯一証明している身障者手帳のみであった。いわゆる住所不定無職であったが、過去に受けた手術のこと、心臓に埋め込まれた人工弁のことなどをとてもよく理解しており、また、その話す口調は脳梗塞の後遺症でやや言葉の出づらさはあるものの、穏やかで品性を感じさせるものでもあった。

 

検査の範囲ではさしたる異常は認めなかったが、心臓手術の既往と胸痛(そしてこれからさらに荒れるであろう天候)を考慮し、入院して精査することとした。入院後に心臓を中心に精査を進めたが、過去の心臓手術はうまくいっており、(ある意味予想通り)医学的に特に問題はなかった。

 

彼の不思議なキャラクターにひかれた僕は、入院後のある日、ベッドサイドで少し長く話をした。大阪で生まれ十六歳で家を出て以来、家族とは会っておらず、三十少し手前で病に倒れるまでは夜の仕事をしていて羽振りも良かった。病気になってからは身体も不自由となり、飯場を転々としながらここ最近は千葉にいた。千葉での仕事が終わったので、特に理由はないけれど、とりあえず西の方へ行こうと思い、品川までは飯場の管理人が車で送ってくれて、そこからは歩き続けてきた。入院する三日前からは水しか飲まず、天候はどんどんと荒れていき、夜になって周囲には誰もおらず、そして、杖代わりにしていた傘が折れたとき心も折れた…と。

 

(僕)「検査で異常もなく症状も落ち着いているから退院だよ。このあとどうするの?」

(彼)「う〜ん…西に向かいます。寿町あたりで少し働いてそれからまた西へ。」

(僕)「西の方って言ったって…。それほど遠くない将来だと思うけど…人工弁の耐用年数が来た時、横浜近辺にいたら僕を訪ねてくださいね。」

 

退院の朝、普段はもちろんこんなことはしないが、彼と病院の売店に行き、杖と少しばかりのお菓子、そして缶コーヒーを二本買い、退院の餞別とした。

 

以来、彼は外来を受診することもなく、今どうしているのか知る由もないが、今夜のように雨の強い夜には、こうして時々思い出している。

 

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※この記事内容はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり実在のものとは関係なく、写真と記事内容との関係もありません。

順番

一昨日まで照り付ける陽差しを背負っていた空は、一転して秋雨を引きつれ、冷え込んだ空気は病院で過ごす夜を一層冷たくしていた。当直用のPHSが病棟での患者急変を知らせ、駆けつけた僕の目に飛び込んできた光景は、ひと目で医学的な手立てが無効なことを悟らせた。

 

八十八歳女性。一通りの心肺蘇生を行ったが、命はあっけなく目の前を通り過ぎていった。医師となって学んだこと、命は意外としぶといということ。心臓外科医となって学んだこと、命はあっけないときはあっけない。患者家族が到着したため状況を説明。当直中に起こった他科患者のことだけに初対面である。にもかかわらず、駆けつけた息子夫婦からは何度もお礼の言葉をいただいた。

 

霊安室から遺体を見送る廊下の空気は、こんな夜でなくても冷たい気がする。ラメ糸できらびやかに刺繍された藍色の布を頭からすっぽり纏った母親を、足の悪い息子がびっこを引きながら追いかけていく。その後ろ姿を眺めながら、僕はいつか来るであろう我が母の順番を想像し、到底耐えられそうにない惜別の思いがこみ上げていた。この思いは初めてではなく、もう何度も繰り返していて、そして、ずっと積み重なり続けている。

 

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※この記事内容はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。